この資料館の名前になっている犀ヶ崖とは、浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷の名前です。
犀ヶ崖は、徳川家康と武田信玄が戦った三方原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。犀ヶ崖資料館はもともと、三方原合戦による死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。
また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団【遠州大念仏保存会】」の本部としても、ながく利用されてきました。浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1983年)には、この建物を資料館として改修し遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。
この資料館は、「犀ヶ崖古戦場」及び「遠州大念仏」の保護・保存に寄与し、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
遠州大念仏は、浜松市を中心に盆の3日間に行われる念仏芸能です。
その起源は、元亀3年(1572)12月に武田信玄と徳川家康とが戦った「三方原合戦」で、犀ヶ崖で戦死した武田軍の兵士の霊を鎮めるために始めたとされております。
以後次第に大念仏は盛大になり、江戸時代には遠州地方殆ど(280〜300)の地域で行われてきました。時が経つにつれ、服装用具も次第に華美となり若者たちの娯楽に変化したり、念仏組間の喧嘩口論や狼藉もしばしば起こったため、一名「喧嘩念仏」とも呼ばれ取締禁止令が出されるほどでした。
明治・大正の時代の移り変わりとともに、知識理解等の乏しさから自然衰退の色は濃くなっていきました。
昭和になって衰退の途に懸念を抱いた念仏愛好者たちが「念仏組間の相互の融和をはかり、遠州の代表的芸能を正しく伝承」を基に、昭和5年(1930)1月15日に遠州大念仏発祥の地である犀ヶ崖の宗円堂(現資料館)において、各部落間における念仏組の連合組織として「遠州大念仏団」が結成されました。
その後、戦時中(太平洋戦争)の双盤供出等で一時は活動を休止しましたが、戦後双盤を新鋳し再び活動を始めて現在に至っております。